厚手のジャケットから薄手のシャツに着替え、車のタイヤもスタッドレスから夏用に履き替えて、季節はすっかり春である。
着るものやタイヤだけではなく、このところの波もだいぶ春っぽくなってきた。
冬型の西高東低と違って、低気圧が日本の西もしくは南西から、東もしくは北東方向へ足早に抜けていったり、南海上から北東へ上がっていったりと、私のホームブレイクには全然よろしくない状態が続いている。巻漁港や牛ちゃんは北向きのビーチで、春先の、南西から西にかけてのウネリはほとんど届かなくなる。そこで毎年春になるとホームより西側のブレイクまでいそいそと出かけていくのが恒例になっている。しかし私はこの西ウネリが好きではない。
理由は簡単、波が良くないのである。
遠くハワイまでそのウネリを届ける力強い冬の北ウネリと違い、短いサイクルでころころと様子が変わる春の西ウネリは、十分に発達しないまま波になってしまうので、パワーも無くフニャフニャな波になることがほとんどだ。ローカルの方々には大変申し訳ないが、そんな波で喜んでいるサーファーの未来はどうしよもなく暗いと思う。
サーフィンという遊びは波があってはじめて成り立つものだが、なるべくならその波は、サイズとパワーがあって、なおかつ掘れてた方が良いと思うし、そういった波でサーフィンしてる奴のほうが絶対うまくてかっこいい。これは世界共通の事実だ。
とはいっても、やっぱりサーフィンしたいので今日も車を走らせてしまうのだ。
2003年4月13日 SS
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先日より始まりましたこのコーナー、「波浪マイフレンド」ですが、中身の紹介も何もせず、いきなり書き出してしまい誠にスンマセンでした。
ここで改めて、簡単ですが自己紹介アンド、コーナー紹介をさせていただきます。
私は鈴木信也と申しまして、今あなたがご覧になっているこのウェブサイト、chus-west.comのwestの部分、新潟県は巻町にありますウエストボードクルーという、サーフ、スケート、スノーの店で働いている男です。1970年生まれで33歳、波乗りと、波乗りに関連する様々な出来事にはまってしまい早15年、「15年くらいじゃまだまだケツが青い!」と思われる先輩もいらっしゃることでしょうが、そんな青ケツサーファーな私が普段感じたことや、波乗りについてのこと、全くもって何の為にもならないことなどなどを、いけしゃあしゃあと、何の臆面も無く、誰の意見も聞かずに書きたい放題書いていこう!と思って作った無責任なデタラメコーナーです。
ですから皆さんも、私がこれから書いていくであろう、とてもとてもくだらない話をマジメにとらえたり、考えたり、ましてや怒ったりしないでくださいね!もしそんなヒマがあるくらいなら今すぐ近くのビーチまで、波チェックに走った方がいいですよ、絶対。
それからこのコーナー名「波浪マイフレンド」には大した深い意味はありません。ただ語呂が良かったという理由だけで、ものの2、3秒で簡単に決めてしまいました。んですが、波乗りをしてる私の友人たちの中には、色んな面白いエピソードを持ってる奴や強烈な個性を持った奴がとても多いので、いつかはそんなマイフレンドにも登場してもらうことになるかもしれませんね。
何はともあれ、まったりとサーファーズセンスたっぷりでやっていきたいと思っておりますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
2003年4月8日 SS
病院へ行ってきた。別に体の具合が悪いわけではなく、怪我をした友人を見舞いに行ってきた。
彼は三週間前、長野のゲレンデでスノーボードをしてて、ジャンプの着地をミスってしまい頭を強打、つけていたヘルメットが割れるほどの衝撃を受けた。それ以来意識が戻ってない。
事故当時よりはずいぶん良くなって、目を開けたり、こちらの問いかけに反応を示すようになったと、彼の母親が説明してくれた。しかし、ベッドに横になっている姿は明らかに、元気な頃の彼ではなかった。
チャランポランにしか山へ行かない私と違って、彼は真剣にスノーボードに取り組んでいた。夏の間にガンガン働き、そこで貯めたお金を使って冬はスノーボード三昧という生活を送っていた。ニセコや福島、湯沢などと精力的に移動しながら、たくさんの友達を作り、滑りまくっていた。彼は決して試合の為などではなく、本当に心からスノーボードを愛し、何よりもスノーボードを楽しんでいた。そんな彼を前にして、何も出来ない自分が歯がゆかった。
テレビが壊れたら電気屋、車が壊れたら自動車屋が修理するように、人間がこわれたら直してくれるのはドクターだ。もちろん私はドクターではないので、医学的に彼を助けることは出来ない。それでも、彼の手を握り、話し掛けたり、心の中で祈ったりすることで少しでも良くなるのであれば、どんなことでもバックアップしたいと思う。
病院からの帰りにチェックした海には、サイズこそ小さいものの、きれいな新しいウネリが入っていた。何本かカタチのいい波に乗り、「keep surfingしかないな、俺は俺らしく波乗りを続けて、変わらずにいよう」と思った。何も変わらずに彼の回復を待ちたい。
2003年4月6日 SS
彼は三週間前、長野のゲレンデでスノーボードをしてて、ジャンプの着地をミスってしまい頭を強打、つけていたヘルメットが割れるほどの衝撃を受けた。それ以来意識が戻ってない。
事故当時よりはずいぶん良くなって、目を開けたり、こちらの問いかけに反応を示すようになったと、彼の母親が説明してくれた。しかし、ベッドに横になっている姿は明らかに、元気な頃の彼ではなかった。
チャランポランにしか山へ行かない私と違って、彼は真剣にスノーボードに取り組んでいた。夏の間にガンガン働き、そこで貯めたお金を使って冬はスノーボード三昧という生活を送っていた。ニセコや福島、湯沢などと精力的に移動しながら、たくさんの友達を作り、滑りまくっていた。彼は決して試合の為などではなく、本当に心からスノーボードを愛し、何よりもスノーボードを楽しんでいた。そんな彼を前にして、何も出来ない自分が歯がゆかった。
テレビが壊れたら電気屋、車が壊れたら自動車屋が修理するように、人間がこわれたら直してくれるのはドクターだ。もちろん私はドクターではないので、医学的に彼を助けることは出来ない。それでも、彼の手を握り、話し掛けたり、心の中で祈ったりすることで少しでも良くなるのであれば、どんなことでもバックアップしたいと思う。
病院からの帰りにチェックした海には、サイズこそ小さいものの、きれいな新しいウネリが入っていた。何本かカタチのいい波に乗り、「keep surfingしかないな、俺は俺らしく波乗りを続けて、変わらずにいよう」と思った。何も変わらずに彼の回復を待ちたい。
2003年4月6日 SS